音気楽ブログ

極めるVS極まる

どっちも同じようだが、極めるとは「これ以上ないという状態に至る」ということで、よい意味でつかわれる。極まるとは「これ以上は・・・」と同じ解釈ではあるが、悪い意味でつかわれることが多い。例えば「不都合極まるじゃないか」「失礼極まる話」みたいに使われるのである。
職人が一つの技術を極める、なんてえのはとても感動的なことで、どんな世界でもこの「極める」ということは素晴らしいことに違いない。もちろん誰でもが「極める」ことができるわけではなく、才能と計り知れない努力によって成し遂げられることである。
残念なことに最近の世の中、この「極まる」といいたくなることが目に付いてしょうがない。どこぞの大統領の失言・行動を筆頭に、見本手本にならなければならない人たちが、そろって極まっている。政治家・社長・医者・弁護士・学者・警察官・先生・親・先輩・・・・子供たちがその成長過程において手本となるべき立場の人が、多かれ少なかれその人生において勝手に極まっている。極まることが当然の権利だと思っているように見える。それぞれの立場を(自分に都合よく)放棄しているのである。これはもはや開き直りとしか言いようがない。あるいは無責任「極まる」のである。そりゃあそうしたほうが楽だもんなあ・・・。
なんか世の中みんなその「楽だもんなあ」の方向へ流れて行って、最後に誰が責任取るのだろう。そういった「つけ」をすべて次世代の子供たちが払うことになりかねない世の中。子供の教育より大人の学校が必要なんだなあ。社会人1年生からやり直しだ!