音気楽ブログ

正論とは

あちらがたてばこちらが立たず、ああ言えばこう言う・・・。とにかく正論あれば必ず反論があって、これは当然というしかないのである。登校拒否・出社拒否の話題は毎年この時期になると浮上。今年は9月1日が最も注意が必要であると新聞のコラムにあった。長い休みの間に自分流に出来上がった平穏な日常からいきなりきつい「現実」に引き戻される。たとえは悪いが、ぬるま湯につかっていた状態から冷水、もしくは熱湯をぶっかけられるような衝撃であったり、忘れかけていた忌まわしい過去に引き戻されたりみたいなことで、当事者にとってはよほどつらい瞬間となるのである。逆に、学校が始まることを心待ちにしている子もいるわけで、それは今回カット。

で、学者・評論家・カウンセラーの皆さんがおっしゃるのが「無理しなくていいんだよ!行かなくたっていいんだよ!」である。素晴らしいアドヴァイスで、いい年した私さえ救われた思いになる。残念ながら大人社会ではそれが許され認められることはない。行かなければそれに対する報復がすぐにでも返ってくるわけで、彼は行くべき場所を失うだけである。そこから「次」をさがすことは容易なことではない。やがては引きこもりなどという救われない人生になったりする。もちろんそれは極論ではあるが・・・。「次」を見つけられた人は幸せなことで、それこそ行きたくない所へ「行かなくたっていいんだよ!」なのである。そこの解釈が大事なところでただ「行かなくて・・・」だけでは救われない。大人はその「次」を見つけ出す力を身につけなくてはいけない。その力を身に着けるのが成人するまでの学校の役割ではないのだろうか。

困ったことに、その学校へ行くことができない。第一の理由は「いじめ」であるのか。自分の「移置・居場所」がないのか、全体の流れについていけないのか、あるいは学校生活に全く興味を見いだせないのか・・・。理由や原因が分からない状況で「行かなくたって・・・」は安易に言ってはいけないことだと思う。生きていくということは多かれ少なかれいろいろな壁にぶつかる。それこそ「工夫して頑張ってその壁を乗り越えていく」ことが正論でありその方法を身に着けるのが教育であり指導でありアドヴァイスであるはずなのである。

私の言っていることは正論である。その通りである。だがそこにも大きなまちがいがある。前へ進めず苦しんでいる人に先ず言わなくてはならないことは「行かなくて・・・」なのである。その場で背中を押してあげることではない。それは大きな間違いである。骨折している人を無理やり歩かせるようなものである。まずは止めて休ませる。そこから始まるのである。もしあなたの子供がっ登校・・・になったり兆しがあったりしたら、先ず「ストップ」。そこからです。その方法は親であるあなたの責任です。