日常があってこそ「非日常」ということが存在するわけで、今や日常ということが何なのか分からなくなるほど、日常の変化が目まぐるしい。
日の出とともに目覚め、日が暮れるとともに眠りにつく・・・これが日常・・・・とまでは言わないが、昨日と今日、さっきと今が全然違っていて、当たり前に過ごす時間が無くなっていくと、精神が落ち着かなくなる。昔の田舎の農家などは、それこそ日常の繰り返しで、その上に生活があり人生が成り立っていたように思う。日常のある生活はゆっくいと時が流れていく。しみじみと生きていることを感じる時間が流れていくのである。
都会の生活は、時間が流れるのではなく時間に追われていくのであって、感じたり考えたりする暇がない。恐ろしいことに日常ということで当たり前のことを繰り返していると、置いてきぼりを食ったような感覚になる。家にいて毎日同じことを繰り返していることに不安をかんじる主婦が増えているらしい。本来、家を守ってくれている存在がいてこそ、それが日常というベースになって家族が安心して生活できていたわけで、今やそういった役割の人がいなくなって、日常という安定感が喪失しているのである。従って、よりどころというか落ち着ける場所がないのである。もはや家庭はそういった場所としての役目を果たすことができない状態で、そうするとどこにそういった場所を求めていったらいいのか。
日常があってこそ非日常の価値があるのだが、今や日々の暮らしが非日常の連続で、いざ日常という状態が続くと妙に落ち着かなくなる。変化の中に自分を落とし込まないと不安でしょうがない。当たり前だった日常と、たまにしか訪れない非日常が逆転してしまった。現代人にとっては日常が怖いのである。それこそまさに「怖い時代」になってしまった。目を閉じ、耳をふさぎ、ゆっくり呼吸をする。そんな時間をほんの少しずつ増やしていきたいものだ。