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この度「新内閣発足」となったわけですが、国会議事堂の中をうごめく大勢の議員の群れを見せつけられて、いまさらながらうんざりする。まさに議員のための国会であって、国民のための国会ではない。園長のための幼稚園・先生のための教室・医者のための病院・裁判官のための法廷・シェフのためのレストラン等等。世の中にはいろいろな「ための」があるのですが、いったい誰のためのなのか、主客転倒してしまっている現象が非常に多い。
及ばずながら、小学校のPTA会長2期目となって半年になろうとしている。コロナの影響をもろにかぶってほとんどの活動が中止となり、何もできないうちに時だけが流れ焦りを感じる。早くも来年度の役員選出の時期を迎えようとしている中、相変わらずその選出方法についてもめることあり。従来の選出委員の面談による方法について、委員の物理的、精神的負担が多すぎるというのである。PTAに関しての是非論は今に始まったことではないが、年々否定的な意見が活発となり、廃止してしまった学校もある。その存在役割についてはここで述べることは控えるが、やはり必要であることは間違いないことで、学校運営にとっては欠くことのできない存在ではある。ではなぜ反対意見が多いのか?端的に要約してしてしまえば「面倒」なのである。自分の時間を割いてなんで活動に参加しなければいけないの?なのである。これも主客転倒の最たる例で、そういう考え方は「~のための」という社会生活の原則を振り返るべきなのである。学校のためのPTAではなく「子供」のためのPTAなのである。したがって参加することに意義がある、参加しなければいけないのである。
ダイレクトに自分にメリットがなければ「行動」しない。どうもそんな傾向がますます強くなっていく世の中。あなたは~のために生きているのでしょうか?~のための自分なのでしょうか?