音気楽ブログ

物との会話

鍋の煮炊きのぐつぐつ・汽車のシュシュポポ・ドアーのガチャガチャギー・井戸のがっちゃんがっちゃん・炭やマキのはぜるぱちぱちなど、物との会話対話がたくさんあった。会話しながら状況を確認し、調節をしたり修理をしたり楽しんだり、そうやって人間は物と付き合ってきたはずだ。今の世の中、ほとんどが電気による電動による電子による物に成り代わっていく。音がない。振動がない。実感がない。前に立てばドアーが音もなく開き、ハンドルを握ってもエンジン音が聞こえてこない。スウィッチさえ押しておけばやがてすべてが無音で進行し、何事もなく完了している。その工程も過程も見ることもなく感じ取ることすらない。すべてがオートマティックで、人はただ命令するだけ物は勝手に与えられた職務を遂行するだけ。そこには人と物の会話はない。つながりはない。
物にだって心がある。いつも心が痛むのが、原発の後始末を物にやらせる。いやなこと危険なことをすべて物にやらせる。物には感情がないから心配なーいという勝手きわまる感性。それが進行すると植物や動物までもが感情がなーい、ということになっちゃったりする。もっとひどいことになると、子供への虐待なんてえことになったりするんです。

万物にはすべて「心」があるんです。「路傍の石」にも感情があるんです。そうやって、今一度自分の身に周りを見直してみませんか。人生は人が生きていくということは、ボタン一つスウィッチ一つで済ませてはいけないんです。たまにはローソクにマッチで火をつけてみよ!