「応援、よろしくお願いしまーす!」と、自ら要求する。そんなコメントが当たり前のようにアスリートなどから聞かれるようになって久しい。当初はなんだかえらくわがままな要求やなーと思って、抵抗があったもんです。応援とはそもそもするほうが自主的にやるものであって、要求されたからするというものではなかったはずである。それを自ら「みなさーん、おうえんしてよねー」なんて堂々というもんですから、恥ずかしくないんかいと思っておりました。応援とは必然の中から生まれるものだと思っておりましたよ。案外、いろいろな選挙演説の中でのある言い方が発端なのかもしれない。恥も外聞もなく彼らは自分の当選を願って「応援よろしく!」と叫ぶ。それがあらゆるところで簡単に使われるようになったのかもしれない。
応援そのものは決して悪いことではなく、むしろ人生にはこの「応援」が不可欠である。応援とは相手を認めるということ。相手を評価して認めるということ。そんな応援があるからこそ受けたほうは前に進めるんです。実力以上の力が出るんですね。私は図らずもPTAの会長になってから、事あるごとに子供たちはもとよりすべての人たちに「フレーフレー」とエールを送っております。「フレーフレー」おじさんというあだ名がついたくらいです。
すべての人に、こんな時だからこそエールを送ります。「フレーフレー人類!フレッフレッ人類――――!」