思う・想うことは実現するかもしれないし、しないかもしれない。しかしそうすることはとても大事なことで、何でもかんでも言葉で伝えたり力で伝えたりすることが良いわけではない。、思いが通ずるということになることがあって、**の一念岩をも砕く、ということになる。
その想いとか思いが、あまり大事にされない傾向が強くなってきている。なんでも言う、何でもやる。即結果を求める。食べ物もどんどん刺激の強い味付けになってきて、一口目のインパクトが勝負!みたいな感じ。そこはかとなく・・・なんて―のは完全無視。分からないし分かろうともしない。言葉遣いもダイレクトに伝わればいいのであって、「ばか」とか「死ね」などと救いようのない表現ばっかり。優しさも暖かさもなにもない。以前にも書いたが、車のLEDヘッドライト、ただただ眩しいだけで、浴びせられる方は目がくらんで何も見えなくなる。「照射」という表現がふさわしい。
せめて音楽の世界だけはと思ってみても、アコースティックサウンドは敬遠され、エレクトリックがもてはやされていく。アコースティックピアノも、今求められているのは、音質じゃなくて音量なんだと。いかにでかい音で鳴り響くか!
白か黒か、右か左か、上か下か・・・はっきりさせなくてはいけない所があやふやで、中間も大いにありな世界が線引きされていく。人間として生きていく意味が意義が、どんどん失われていく。