生活環境はそれは「きれい」に越したことはない。世にはびこる「ざます」系のおばさんたちはとにかく汚いものを嫌い軽蔑し排除しようとする。そして「きれい」であることが人間の条件であるような言い方までする。
「きれい」であることは実は「汚い」ことの上に成り立っていることで、「汚い」を担ってくれる人がいなければ成り立たない。そういう担ってくれる人をも指しておばさんは汚いというのである。
清掃に関わる人や下水処理に関わる人やごみを収集する人、食肉処理をする人、火葬に関わる人、道路の穴掘りをする人等いわゆる「汚れ」仕事に関わる人がいなければ、「きれい」な生活はできないのである。そういうことを無視して、おおよそ経済的に豊かな層がそういった感情を持つようだ。彼女らは何も知らないし何も見ようとはしない。糞尿をたれるくせに自分はきれいだと思い込んでいる。もしかしたら自分の糞尿は「きれい」だと思っているのかもしれない。
人間が高いところに住むようになってから、ますますそういった傾向が強くなっているようだ。「見下ろす」のである。高みに立って平民を見下ろす。天皇陛下じゃあるまいし。高くなればなるほど、現実から遠ざかるので、ますます真実が見えなくなっていく。世の中が化粧で覆われ、現実が隠されごまかされていることに気がつくはずもない。野菜に泥がついていた!と、怒り狂うのである。
昔はよかったなどと原始に戻ることはできなくても、原点に戻ることはできるはずだ。人間の原点とは何だったんだろうか。とんでもない方向へそれていく迷走台風のように、人類の未来は予測がつかない。予想や予測が付くなんて甘い考えは捨てた方がよさそうだ。
自分の「きれい」のために周りを汚す。人類に未来はない。