旧・音気楽ブログ

純粋であること

純粋にピュアであることが最大の強み。生き方にいろいろあれど、この「純」という生き方に勝るものなし。作為的に「純」を装うこともできるかもしれませんが、長続きしません。ばれますし本人も疲れます。例えば赤ちゃん。何も考えておりません。感じたそのままをそのまま表現する。全て受け止めてもらえます。もしもあの赤ちゃんの泣き声が作為的だとしたら・・・。ぞっとしますよね。「天才」と呼ばれる人達もある一芸にすこぶる秀でているため、他の事には目をつぶってもらえる、許容してもらえる、そして支えてもらえる。
今、まっさかりの高校野球。これも「純」の代表的存在であります。とにかく全ての青春のエネルギーを野球につぎ込む。グランドに立つことだけにかける。このくそ暑い中汗まみれ、泥まみれになってグランドを駆け回る。勝っても涙、負けても涙。3年間の人生のほとんどを野球にかける。これもまさに「純」であります。どの試合にもドラマがあり、どこのチームも応援したくなるのは彼らが「純」であるからであります。(実態はそんなことだけじゃない。高校生たちが裏で何やってるのか知ってんのかー?といううがった意見はとりあえずおいておいてください。)
身近にもこの「純」な人がおります。裏も表もない。ひたすら自分の道を突き進む。そういう人は自然に応援したくなる。彼らは「我がまま」なんです。勘違いしないでもらいたいのは「わが儘」とは違うということです。前者は我がのところにアクセントがあって、後者は儘のところにアクセントがあるんです。声に出していって見て下さい。
出来ることならば私も「純」になりたい。でもそれは恐らく無理なんだと思います。なぜなら不純な欲求が多すぎるからです。せめて「純」な人を応援しましょ!支えてあげられたら幸せです。