既にご存知の方もいらっしゃるかと思いますが
私の母は七夕の翌々日7月9日20時半に病院で息を引き取りました
何事かと思われる方もいらっしゃると思いますが
実は私の母は音気楽工房に深く関わっていたのです
2002年の今の江田のお店を開店した時から
悠生が生まれる2008年まで
音気楽工房の受付嬢??として
音気楽工房に毎日いたのでありました
そして本日
母の事を思いながら書いたyukaの新曲
「Vent De Voyage」(フランス語で風の旅)の
7月5日のJUNKライブ音源と共に
天国に送り出してきました
この一週間母の事を知った生徒さんや先生方からの
沢山の愛を沢山のお花にして伝えてまいりました
レッスンにいらした生徒さんが
「先生大丈夫?」とか言いながら大泣きしてたり・・・
母の事をあまり知らない方も私のつぶやきを聞いて下さっていて
一緒に泣いてくださったり・・・
母も私も本当に幸せ者です
皆さまありがとうございます
無事天国に着いたよ~!
って母が言ってるような素敵な夕日でした
去年の2月に胆管癌が発見され既にステージ4のBという末期の状態
幸い抗がん剤が効いたり
他に色々なものが効果をなしたか
今年初めにはPET検査の結果に「癌がなくなった疑い」という文字が。。。
しかし癌はそう甘くはありませんでした
CTではまだあるけれど手術できるほどの大きさになったので手術をしようという事になり
6月11日にお腹を開いた結果
腹膜に転移していて手の施しようがないと
何もしないまま閉じられてしまいました
そんな事を知ったら母は生きる気力を無くしてしまう!!
最後まで母には内緒にしました
術後一度退院したものの
一週間後電話の向こうで
ママが立ち上がれなくなっちゃったとの父の声
たまたまオフだったので慌てて車を飛ばして再入院をさせてから
yukaはほぼ毎日病院に行き
最後の時間を沢山のおしゃべりと笑いで過ごしました
亡くなる当日はライブ中で看取る事はできませんでしたが
亡くなる前日にJUNKの音源をママに聞かせて
「これママに書いた曲だよ。聞こえてる?」
私の叫びに「うんうん」と頷いてくれたので
多分心に受け止めてから逝ったと思います
そして9日の月曜日の夜
大阪にいる妹と姪っ子
我が家のパパと悠生の到着を待って
最期まで前向きに頑張りましたが力尽きました
友達付き合いが嫌いなくせに
淋しがり屋の母です
まだ父が働いていて
実家にいた妹が家を出るタイミングで江田店開店
ママを独りで家に放置しておくと精神的におかしくなっちゃうよ
社長と話し合った末
ママも電話番くらいできるんじゃない?と
音気楽工房に毎日来てもらう事になりました
私も社長も外に出る事が一番多かった頃
ママは毎日工房に来て得意の接客とおしゃべりを生かし
工房の生徒さんや先生たちの相談役として皆に愛されました
音楽はからっきしのママでしたが
「ピアノ教えてあげるからやってみ~」
と一曲弾けるようになって工房祭に出たり
悠生が生まれた後は子育てに専念してくれて
その頃始まったゴスペルレッスンにも悠くんと参加
工房祭にゴスペルチームとしても出演しました
思いついたら何でもすぐやる人だったので
後悔はきっとしてないんだろうなぁ
70歳過ぎても音気楽工房からあざみ野の駅まで
悠生と自転車で行っちゃったり
スキーに行くって言ったら
「私も行く~!」って
じいじ残して一人で付いて来てやったこともないスキーをちょこっとやってみたり
ホントにキャピキャピした母でした
そして私の音楽の一番のファンでした
亡くなる前意識がもうろうとしていた時に
「ママ、こないだJUNKでねロックやったの。聞かしてあげる」
とイヤフォンを耳に当てたら
音聴きながら急に元気になって起き上がったなぁ
私のライブにも何回も足を運んでくれました
そして去年の9月父の喜寿の誕生日と
今年の5月ママの76歳の誕生日を
JUNKライブに招待して一緒に過ごせたことは宝物の思い出となりました
ママの事を5日のJUNKメンバーに伝えたら
「これからも常に魂込めた演奏を続けたいですね。」
魂込めた演奏・・・良い表現だな
ホントにそう思います
yukaも魂込めた音を追求します
「ばあば」の魂は悠くんのお気に入りのぬいぐるみ「Froggy」の中に宿りました
隣のくまはママのおばあちゃんが入ってるんだよ