TVドラマとか映画とかには、必ず音・音楽がつきもので映像を盛り上げるためにはなくてはならない存在であります。音楽が全く挿入されていない映像(ドキュメントなんかによくある)を見ますと、その音がない分、余計に映像に対する想像力が働きます。視覚がより鋭くなり臨場感が増します。映像をより主調するために音・音楽の助けが必要なのでしょうが、それがあることにより何かが何らかの部分が強調されたりあるいは誤解を招く事にもなりかねない。
この音楽を聴くとあの映像がよみがえる、なんてことが起こる。あるいは逆もありこの映像を見るとあの音楽を連想するということもある。切っても切れないご縁なのでしょうか?
それなりに効果的であれば越したことはないのですが、事実より美化されたり、あるいは悪いイメージになったりと音・音楽の与える力は怖い存在でもあります。サスペンス劇場のクライマックスに流れるあの不気味な音、喜びを絶頂に導く歓喜の音楽、悲しみのどん底へ突き落すお涙ちょうだいの音楽など、作者がそこを強調したい意図的な作戦であります。こちらがそれほどでもない状態の時に、その音・音楽によってすっかりその気にさせられる。「はまる」。
今やどこかしこに音・音楽があふれかえって、それがなくなると逆に恐怖感を覚えるのかもしれない。ファミレスの意味のないBGM、駅に流れるさわやか?な軽音楽・トリのさえずりなど、無音になると不安になる事も否定できない。
人生も一つのドラマである。と、よく言われるが、残念ながらそこに音楽はない。少なくとも他から与えられる音・音楽はない。自分の人生をよりドラマティックにするためには、音・音楽が必要であるとするならば、自分の心に自分のための音楽をいつも流す必要がある。振り返ってみると、私はいつも心の中で「そう」していたような気がする。悲しい時にはセレナーデが流れ、うれしい時には歓喜の歌。一生懸命な時にはマーチ…というようにその時その時にいろいろな音楽が流れ、同調してくれていたように思う。音楽はあらゆる意味で私を支えてくれる存在であったわけです。
だとすると、もっともっとたくさんの音楽を知っている方がいいということになりますなー!もっともっとたくさん音楽を聴こうっと!