旧・音気楽ブログ

かんどー

自分に感動しない・できない人は、人を感動させることはできない。自分に感動するってどういうことなのか?自画自賛・うぬぼれ・一人ごちる・自己満足などとは違う。夕焼けなどに感動したりするのは自然が偉大であるからで、絵や音楽などに感動するのもそれらが無条件に素晴らしいからである。例えばじぶんが演奏した音楽に自分が感動する、自分が描いた絵に自分が涙する何て事があったとすると、自分のしでかしたことでありながら、もはや主観を超越して客観的になったあかしである。凡人が時として体験するのは、残念ながら主観的な状態で自画自賛しているだけ。客観的に自身を観察できるようになるためには相当な努力の積み重ねが必要なことで、ちょっとやそっとではその境地に達することはできない。到達した人を見ているとその積み重ね自体半端じゃない。

一日12時間も練習したとか何百回も同じことを繰り返したとか、それこそ寝食を忘れてのめり込む。他の事はどうでもいいというわけではないが、「それ」が最優先となり、それ以外はなくても失ってもいいくらいなのである。例えばそれをやり続けるために食事はいらない、寝る時間もいらない・・・みたいなことになる。半端な気持ちではそうはいかない。三欲に支配された生き方をしている私など、とてもじゃないけどそんな状態にはなれない。従っていつも「自我自讃」の人になりさがる。そして自己満足するのである。たはははは。

最も、もっとひどいのは、すっかり自己をあきらめ見捨てて、「他」だけに走る人。スポーツに親しむのではなく、スポーツ観戦に熱中する人。何時間も並んでパンダを見に行く人。命がけで羽生選手の追っかけをする人等々・・・全ての夢や希望を「他」もしくは「他人」に託すのである。そんな人生楽しいか?
極め付けが、子供にすべてを託す!なんてえことを平然とやってのける無責任な「親」。人は其々が個であり、それぞれが自分に与えられた素晴らしい人生というものに磨きをかけて、それこそ感動しなければいけないんじゃ!人生は神様が下さった素晴らしい送り物。大事にしよう!