旧・音気楽ブログ

線引き=ボーダーラインというとかっこいい?

何でもかんでも「線引き」する世の中。ここからこっちはOK、ここからあっちはNG。人間の価値なるものをそのようにして簡単に分ける。タワーマンションにお住いの方、何階から上と何階から下では・・・とかやってますよね。私立は勝ち、公立は負け。大都市は勝ち、地方は負け。年収いくらは勝ち、それ以下は負け。ブランド物は勝ち、無印は負け。
「一等は勝ちでビリは負け」というあの運動会精神がそのまま世の中のあらゆることに影響を与えている。足の速い子もいれば、当然のろい子もいる。一斉に走らせて優劣を決めつける。何か、ルーツはこのへんからか。いやもっとさかのぼって、赤ちゃんが生まれて何か月でハイハイしたとか、立ったとか歩いたとか、そんなことを親たちが競い合っていたような気がする。すでにそのころから、競争が始まり優劣の区分けが行われ、線引きとなる。

どうやらこの世は優劣をつけることが大事なことで、優者は幸福であり劣者は不幸であると決めつけたいようである。優れていることはいいことであるに違いないが、劣っていることは決して悪いことにはならない。その辺の解釈を間違えると救いようのない世の中へ突き進むことになる。いや実際突き進んでいるのかもしれない。

みんな違ってそれでいい・・・でしたっけ。ちょっと前にはやった言葉。もう一度振り返って「みんな違ってそれでいい」。新しいスタートを切った子供も大人も、「みんな違ってそれでいい」。