「常識」なる言葉が、死語になりつつある、というか常識そのものの定義があやふや、でたらめ、わがまま勝手になってしまったため、つまりそれぞれがそれぞれの尺度(定規)で物事を測る。ということは、何かを判断する基準がなくなってしまったということである。平たく言うと、何でもあり―みたいな感じ。
「良識」という言い方があるが、もはやそれに頼るしかない。良識とは「健全な判断力」とありますが、その「健全」という言葉の解釈にまで言及すると、もう何も先へ進むことができないので、そこは皆さんの「良識」にお任せします。常識とは、**%以上の相対的考え方であり、統計的数学的理論的であります。良識とは精神論に元ずく観念で、人間としての本来の在り方ということになるかと思います。
その「良識」のはんちゅうで均衡を保っていたことが、どんどん崩れていく。セクハラ・暴行・不正・わいろ接待袖の下・売春買春・未成年の飲酒喫煙・・・。もちろんイイとは言いませんがあまりにも四角く
目くじらを立てると、それが今や即「法律」のお出ましとなり、「犯罪者」として仕立てられ葬られていく。以前はこの「良識」の中でうまい具合に折り合っていたものが、スパッと線引きされて、ちょっとでも枠からはみ出ると、即NGとなる。大げさに言えば、社会から抹殺されてしまう。もっとも簡単に「頭を下げて」・・・でほとんどおしまいになるというのがまたまたあきれるばかりで、時を経ずしてゾンビのごとく生き返る。そして社会はそれをまた受け入れる。
何でもかんでも、法律法律。人としての感性がどんどん失われていく。音楽の存在がそれを救う一助になることを望む!