旧・音気楽ブログ

匂いと香り

洗剤のコマーシャル。強調されるのが洗浄力と仕上がり感と「香り」。どんな香りでどれ程まで持続するのか・・・が強調される。フワ―っと広がる花の香り・・・みたいのが多いんです。
「香り」に対する意識が相当高まっていて、逆に言うと「匂い」に対するイメージが相当低下している。「香り」が善で、「匂い」が悪。悪の代名詞みたいになっちゃった。

以前は、「匂い」が大事なのであって、「香り」はおまけのような感じだった。以前っていつのことだよって言われそうだけど、そう、父親の尊厳が失われる前って―感じ。物にも人にも固有の「匂い」があって、それがいい意味での「個性」であった。父ちゃんの「匂い」、母ちゃんの「匂い」、味噌汁の「匂い」焼き芋の「匂い」、焼きさんまの「匂い」、ナフタリンの「匂い」、春の夏の秋の冬の「匂い」・・・。それらの独特のにおいの中で生活が成り立っていた。

「匂い」こそが臭覚として大事な感性の一つでもあった。その「匂い」が今や嫌われ者の代表のようになってしまった。「匂い」を押さえる、あるいは殺す。そして「香り」様が今、はやりのどぎつい女芸人のように胸を突き出して「どうよー!」。そこはかとなく香るのではなく堂々と「香る」のである。

さっきも言ったけど、「匂い」が失墜したのは、父親の尊厳が失われた時からであって、おやじ臭い・加齢臭などとさげすまれる存在となってしまった。つまりそのころから、「匂い」=「臭い」問い解釈になってしまったのである。

柔らかいふわふわしたものがもてはやされる時代!表面的すぎる良い「香り」に騙されてれて実態を見逃す。今こそ立ち上がれ「匂い」!「親父のにおい」の復活じゃー!