日常とは常日頃、普段。毎日の決まった生活、繰り返されるそのパターン。そこから連想されることは、安定安心。つつがなく当たり前に・・・である。悪く言うと、つまらない、刺激がない、マンネリ。そこで思い立って日常から「脱失」しようとする。普段着ない服装をしてみたり、化粧を変えてみたり髪型を変えてみたり、高級レストランへ行ってみたり、美術館などを覗いてみたり、ちょっとした旅行をしてみたり、あるいは思い切って引っ越しなんかしちゃったり・・・。
それらの行動は気晴らしであり、気晴らしは必要なことで、しかしやがては元の日常に戻るのである。脱失を試みるものの、やはりどこかへ落ち着きたいのである。「旅をして 旅を住家とす」という方がいらっしゃいましたが、おそらく放浪癖のある方なんでしょうね。そういう方もたくさんいらっしゃいます。そういう方は、ひとところに落ち着くことができない。安定を望まない。安定することが逆にストレスになる。マグロのような人生!そんな方にも心の港があるはずです。
一時的な「脱失」は誰にでも起こりうることでそれでバランスが摂れているのだと思います。ところがこれが進行しすぎますと「離脱」ということになり、おそらく元に戻ることがない戻ることができない。いや、戻りたくないのかもしれない。「蒸発」あるいは「引きこもり」とか、最悪の事態は「自殺」である。
状況を受け入れて妥協しながら日常を送る。日常でいられることに感謝する。自分の運命・宿命に余り疑問を持たない。と、こんな生き方が普通だと思ってきた。それが良いのか悪いのかは分からないが・・・。刹那的な世の中。過去も将来も考えず現在の瞬間の感情を思うがままに満足させようとする生き方。
戻ること戻れることが、人生の基本であったはずなのですが、この「刹那的」な世界にはそれがない。無責任で無謀であります。自分だけの問題で済むのならいざ知らず、人類の危機にも関わることに対して「刹那的」で在ることは許されません。とは言っても恐らく聞く耳を持っていないのでしょうが。
船には港があるように、人間には戻れる所が必要なんです。それが今やあらゆるところで消滅しようとしている。北極の氷と共に溶けてなくなろうとしている。まさにさまよえる人類となってしまった。