物の形は其々に理由があってそうなった。特に道具と呼ばれている物はまさに・・をするために生み出されたものである。包丁・トンカチ・のこぎり・はさみ・ペンチ・のみ・シャベル・ほうき・缶切り・フォーク・ナイフ等々。其々がそれぞれの目的に合わせて作られ、工夫、改良されて究極の形になる。
その究極の形は、大変美しい。それを「機能美」というんでしょうか!。見ているだけで楽しい。特に男たちが、その道具の「機能美」にはまるのである。機能美の集合体が、例えば「腕時計」であったり、「エンジン」であったりするわけです。
ところが、最近の道具や物を見てみますと、なんか美しくない「物」が目立つ。というか、平然と存在し、歩き回ったりしている。
昨日は雨だったのですが、当然皆さん「傘」をさしていらっしゃる。ちゃんとした(値段もそれなり)傘をさしている方も、もちろんいらっしゃる。どちらかというと高齢の男女に多いかな。つまり朝出かけるときに、雨の予測と共に、きちんとした「傘」を用意してらっしゃる。ビニール傘などささない。更にきちんとされた方は、レインコート・レインシューズなどもお召しになっている。そのお姿は優雅で全体が(機能美として)美しい。
若い方はいろいろで、ちゃんとした傘の方もいらっしゃるが、ビニール傘の方がとっても多い。あるいは、少々の雨なんかで、いちいち傘なんて・・とぬれることがかっこいいなんていう方もいらっしゃる。新聞紙やスーパーの袋なんていう方も。
8本の骨組みが、なだらかな曲線を描いて構成されている。それが傘のあるべき姿という概念がありました。アーノルド・パーマーさんのあの傘マーク。
やがて10本やら12本やらやたら骨の多い傘が登場し(その方が丈夫なんでしょうか?)、すでにその時点でなんか形が・・と違和感を覚えたものでした。
軽量・コンパクト・カラフル・・・なんかどっかで聴いたことのあるような「うたい文句」ですが(実はQ☆PIANOの3大セールスポイントでした)、そんな傘をさしているビジネスマンを最よく目にします。凄く小っちゃくて、短くて、全体が丸くない。四角?みたいに見えたりする。軽くするために骨を少なくしてんのか?柄が短いので傘の中に顔が隠れていてよく見えない。強風が吹くとあっという間におちょこになっちゃったり・・・
これも一つの究極の形なのか・・が、全く美しくない。従って、もちろん「機能美」からは程遠い。従って、この傘は良い道具とは言えないのである。そんなものがどんどん増えているようだ。