昔(また「昔」ですか・・今度はどの位むかし?・・45年くらい前ですー!)、中央線(まーるいみどりの山手線、真ん中とーるは中央線!その後に、新宿西口駅のそば、カメラは淀橋カメラ!ってんだ!)によく乗ったよ。吉祥寺に住んでいたからよ。都心に出るにはあのオレンジ色の中央線だよ。吉祥寺は武蔵野市であった。何と、東京都下!ってよばれてた。東京都下!武蔵野市吉祥寺南町*丁目*番・・みたいな住所だった。井の頭公園の裏に住んでいたので、公園がうちの庭みたいなものだった。花見時期はそりゃあ賑やかなもんで、夜遅くまで酔っ払いの奇声が響いておった。翌朝早く行ってみると、焼き鳥の串・おでんの容器・割り箸・ビニール袋・くちゃくちゃの新聞紙・なぜかどろどろのネクタイなどが散乱しておった。ワンカップの空き瓶はもちろんビールの空き瓶もゴロゴロころがっており、用があるのはそのビール瓶!拾い集めると袋いっぱいになり引きずるほど重く、何回も往復したもんだ。どこを往復したかって・・酒屋だよ酒屋!一本10円で引き取ってくれたんだ。はこんだ数は50本ほどもあって、500円!ありがたかった・・なんせ、ハイライト(当時の国民的タバコ)が80円だったからなー。アルバイトの時給が120~130円位だよ・・。土曜・日曜の朝が稼ぎ時だ。でもたったの2週、桜が散ったらおしまいだった。
横道にそれちまったようで。で、その中央線は、もう高架になっていて相当高いところを走ってた。阿佐ヶ谷・高円寺・中野そしてつぎは新宿なんだが中野を過ぎて車窓からは家々の屋根が整然と見える。進行方向左側だよ。その中にひときわ目立つまっかな文字看板・・「遠くの親戚より 近くの質屋!」何かそれがいつも目に入って、それが妙にうれしくって、なんかあったかいもので胸がいっぱいになって・・「ちょっと困ったら、遠慮しねーで俺んとここいよ!」って語りかけてくるんだ。なんせ金なかったからなー。髪、背中まで伸ばして、無精ひげはやらかして、擦り切れたこ汚いGパンはいて・・・ヒッピー!?
結局、一度もお世話にはならなかったけど、その看板に何度も励まされたんだよ、支えられたんだよ。ありがとー!!!!!!あの時代は、みんな何かに支えられていた。よりどころがあったんだなー!今は、そんなものがあるんだろうか・・・あーあ、mukashi はよかった。年取ったしょうこかなー・・・