「いじめ」がなくなりません。従って子どもの自殺が増えていきます。ニュースにのらない日がない。そのたびに、「先生は、学校は、教育委員会は何をやっていたのか!」です。校長先生が頭を下げる。再発防止を誓う。
いじめは昔からあったわけですが、それによっての自殺者はあまりいなかった。いじめの内容が陰湿・執拗になり、被害者の逃げ場がなくなる。行き詰まった先には当人にしてみればもう道がない。「死」に対する恐怖よりも「生」に対する苦痛の方が上回ってしまう。それが現状だと思います。それに対してなにもできない自分が情けない。ため息をつく事しかできない。
サザエさんやちびまる子ちゃんの時代はそうじゃなかった・・・なんて言ったって、時代が違うんだからしょうがないじゃないか!えーっ!なんて言われそう。確かに時代の「せい」かもしれませんね。ですがいくら時代が変わったからって「親」の在り方まで変わっちゃっていいんでしょうか?そこが一番の問題なんです。遅まきながら、まだ小学校2年生ぼうずの親です。もうすで、にいろいろな驚くような悩みをかかえている。まだ8歳だから、なんて高をくくっていたら、とんでもないことが彼の身の回りに起こっていた。日々どんな些細なことでも、たとえ短時間でも話す。聞き出す。そうすることによって、彼の日常がわずかながらでも見えてくる。一緒に悩む、考える。
最近の親はかなりの確率で「共働き」ですか。仕事してんだからショウガナイじゃない!遊んでるわけじゃないわよ!疲れるし、一々構ってられないわよ!贅沢させてやってんだからいいでしょ!・・・ふんぞり返って鼻の穴ふくらませて・・・休みの日くらい俺の好きにさせてよ!ねていたいんだよー!ですか。
かと思えば、一方では、親なんだから子供の事考えないわけないじゃん!心配するの当たり前じゃん!愛してるに決まってるじゃん!何よりも大切なんだよ!・・・
では、なぜ自分の子どもがいじめにあって、悩んだり苦しんだりしていることに気がつかないんですか、なぜ一緒に向き合おうとしないんですか?なぜ一緒に戦おうとしないんですか?挙句の果てに何か起こると、全部ひとのせい!子どもが死んじゃってから怒るんだよ。そしてTVの中で泣くんだよ、あんたたちは・・・そして言うンだ「こんなことになって、先生は学校は、何をやっていたんですか!」ってね。
それじゃー「親」じゃないでしょ!親は子供にとっての最後の最強の「砦」なのに、あんたらはまともに見向きもしない、むしろ目をそむけているんだ、子供の置かれている現実から・・・いい加減な対応をして、ただ「頑張りなさい!」と言うだけ。何をやってたんですか?それはあんたたちの事だよ!
と、またえらそうな言い方になりました。いろんなことがお金で解決できる分業になってきている世の中で人の「役割」は、それでいいのでしょうが「存在」が分業になっちまったらいかんと思います。子どもにとっての親の存在は「全部」なんです。変わりはいないんです。(じゃ、親のいない子はどうするんだよー!)という声が即聞こえてくる。それはまた別問題です!
親としてのその「在り方」をもう一度考えてみましょー!私ももちろんです。