偽・サバイバー(サバイバル的生活をする人)がけっこういます。 彼ら曰く、原発いらねー・電気いらねー・車いらねー・コンビニいらねー・何でもいらねー・何にもいらねー・・・とにかく、ありとあらゆるものを否定する。否定することがかっこいいと思っているかのごとく否定する。
自分で何とかしようと思えば、何でも何とかなるんですよ!というのが決まり文句。畑で野菜を作ればいい・ランプで生活すればいい・魚は釣ればいい・罠を仕掛けて獲物をとればいい・藁と木で家を造ればいい・・・うーん確かにできるかもしれない。けどやはり多くの矛盾がありまして、畑を耕すのにクワとか使いませんか?ランプはどこから手に入れるんですか?ランプの燃料は?釣り針は?のこぎりは?トンカチは?はたまたあんたがとりあえず着ている洋服は?はいている靴は・・・誰が作ったのでしょう。誰かがあらゆる材料であらゆる方法で作る。それを誰かが運ぶ。そのためには電気も使い、車も使い、先進技術も投入し、そうやって物ができる、手に入るわけです。「オラ―、誰の何の世話にもなってねー!」と言って孤島で暮らすのであればそれは立派なサバイバーでしょう。しかしそれは単に生きているだけのことで、生活とは言えませんよね。みんな生活するためにより良くするために頑張っているわけです。
先ずは、誰の世話にもなってねーというのがおかしい。車なんかいらねー!だとしたら、あんたが今歩いている道路は誰がどうやって作ったのか?文明の利器を駆使して造ったんです。たくさんの車が関わっています。そういうことをどっかに置いておいて、ただ車不要論をがなり立てるんですよ。騒音だの・交通事故だの・排ガスによる自然破壊だの・・・
あるおっさんが「わしは車なんか必要ない。従って家の前の通行を阻止する」みたいなことを言って道路にブロックを置いて車が通れないようにした。極端な例ですが、一歩間違えるとこのようなことになる。それって単なる「自己中」。権利の「主張」であると思っているのは本人だけ。そういう考え方増加中!