子どもは親を選べない。どんな家庭環境に生まれてくるかなんて誰もわかんないわけで、裕福な家に祝福されて生まれてくる子もいれば、極貧で望まれないで生まれて来ちゃった子もいる。後者の場合は生後の人生も悲惨な状況の繰り返しとなり、それこそ「愛」などという物が存在しない環境で精神が曲がっていくのである。そんな中で強く立ち直っていく子もいるが、大方はまっとうな道から外れていくのであって、ある者は犯罪者となってしまうのである。
「犯罪」という事実だけを取り上げて、なぜそのようなことになったのかという「背景」を見過ごす、いや見ないようにする。幼いころから自分を理解して受け入れて愛してくれる環境がないとすると、人間としてのよりどころがないわけで、そのような子供がどうやって生きていけるのか、どのような成長過程を歩んでいくのか・・・。人間のみならず動物もあるいは植物にでさえも「愛」は必要なものであって、まして感情の生き物である人間にそういった人生の栄養が与えられないとしたら、まともに育つわけがない。
罪を憎んで 人を憎まず 人という生き物は決して勝手に生まれてきたわけでもなく、勝手に成長してきたわけでもなく、それぞれの人生の履歴には計り知れない何かを抱えているのである。犯罪者を決して擁護するつもりはないが、そういった犯罪者を生み出してしまった責任は、例えば「親」「環境」「人間関係」にも大いにあるわけで、これはみんなの問題でもある。おら、しらねー関係ねーでは済まされないのである。
私に何ができるのか?自分ももしかしたら、あの時犯罪を犯したかもしれない・・・と思うことが多々ある。それをどうやって回避してきたのか、いよいよ自伝的小説を完成させねばならぬ。もう10年もいい続けてきた小説化、今年中にやります。